昭和46年09月02日 朝の御理解



 御理解 第4節
 「此方金光大神あって、天地金乃神のおかげを受けられるようになった。此方金光大神あって、神は世に出たのである。神からも氏子からも両方からの恩人は、此方金光大神である。金光大神の言うことにそむかぬよう、よく守って信心せよ。まさかの折には、天地金乃神と言うにおよばぬ。金光大神、助けてくれと言えば、おかげを授けてやる。」

 金光大神の言う事に背かぬよう、よく守って信心せよと、金光大神のいわれたこと、教えられたことを、よく守って信心せよ。私共と金光大神とのかかわり合いを、そのかかわり合いが、段々深い道なるものになっていく、金光大神の教えられる、それは本当に素朴な表現で、私どもの、助かっていくすべ、又は人間にとって、幸せになっていくものにとっては絶対こういう心掛けにならねばと、思われるようなお話を頂かして貰う、その事が日常生活の上に守っていかれる。
 金光大神と私共との間が、いわゆる密接なもの、明けても暮れても寝ても醒めてもという、金光大神が私共の心の中から離れない、そう言う様なおかげを頂かせて頂く為に、信心がいよいよ好きにならねば駄目だと思うです。好きこそものの上手なれと申しますけど、始めから好きだというものは滅多に居りません。教祖様は子供の時から神参りが好きだと、未だわずか12歳のお子さんが、川手家に御養子においでられた。
 一番始めに、養父母に対していうておられることは、私は神参りが好きだと言うておられる。だからいつもとは申しませんから、お休みの時は心よう参らせて下さいと、やはり信心の大天才ともなられるお方ですから、そのようにあった訳ですね、まあ環境がそうあらしめたのでありましょう。教祖様は御幼少の頃から、体が非常にお弱かかった、それで、お父さんが大変信心深いお方であった。
 どこのお宮様どこのお寺様と、よく神信心の信心深い、お父さまの背中に負われながら、物心つかぬままにいわゆる神参り、仏参り等をなさっておられる。お父さんの着物は、背中から先に破れたといわれるほどしである、お父さんが弱い子供をおんぶして、そして、近所の宮寺にお参りになった、それを背中の上で、まあそういう環境そういう雰囲気の中に、段々物心がついておいでられた頃には、12歳位のお子さんがね。
 養われてこられたお父さん、お母さんにいうとられる事は、神参りが好きだというとられる、ですからお休みの時には心よう参らせて下さい。お参りをされるのに大きな瓦屋があった、その瓦屋に松葉ですね松葉をかきに行かれる、普通は午前中に一杷午後に一杷と言う様に、二杷づつをからうておいでた。けども教祖様はそれを三回なさっとられる、そしてその村のお金だけは、普通のものに働くそのお金だけは、ご両親にあげておられて、その一杷は神参りをなさるための、お賽銭とか旅費とかにあてられた。
 もういよいよお好きでおありになったと思うですね。私共大坪の家は大体遊び事、遊び事といっても、遊芸が好きですよねみんな踊りを踊ったり、三味線をひいたり唄を歌ったり、もう家族中賑わう、ですからよんどころなく、お芝居なんか好きである、まあそれこそ、教祖様じゃないけれども、物心のつかん頃から、恐らく連れていかれたんでしょう、芝居小屋の近所まで来ますとですね。
 もうなにかですね、心が浮き浮きしてくるのですよ、背中におんぶしとってから足でこうこうやってから、はよ急げ急げと言った様な雰囲気とか、そういう状態をかすかに覚えとります。芝居小屋の近所に参りますと、もういうならば呼び込みの太鼓が鳴っておりますよね、お芝居のもうそれこそ体がふるうごと、子供の時からそうじゃった、だから、役者にでもなったら、やっぱり成功しとったじゃろうと思います。
 本当に好きこそものの上手なれ、そう別に稽古もせんなりに、三味線の調子がわかったり、ひいたりしておりましたからね、子供時分、この人は不思議な人じゃある、子供のくせに三味線の調子が分ると、もう一人前と言われる位、何とはなしに分りよった、ようにですね環境というものが支配致します、同時にまあ好きであった信心も、芝居を好きのようには好きじゃなかったけれども、やはり何とはなしに好きであった。
 拝むということは非常に子供の時から好きであった、拝みよるともう涙が流れてくる、子供の時、何か訳はわからんけれども、涙流して拝みよった、どう言う事を拝みよったか知らんけれど、まあそういうものを記憶しとります。長ずるに従って神様のおかげを頂かなければ、自分は助からんと言った様な、思いこみが段々強くなるに従いまして、矢張り信心が、段々好きになってきたと言う事になります。
 ご理解三節の最後のところに、氏子ありての神、神ありての氏子とあります、よくラブレターなんかに、そういうよく似た言葉を使いますですね、あなたあっての私、私あってのあなた、これはも、あなたなしには生きてはいかれないというのです、ですか信心はです、そういう一つの情念というものがです、段々つのってくるところから、有り難いものが、いやが上にも、頂けて来るようになるのです。私共と金光大神の間に、そういう一つの情念にも似たような、憧念心が高められて来る。
 昨日の月次祭の後にも、一寸お話を申しましたように、昨夜佐田さんが佐田さんの若奥さんの、先生、有難うして、有難うして、勿体のうして、勿体のうして、只有り難さに一日を暮らしてすごさして頂いて、何が有り難いか分らんけれども、有り難い。二.三日前、朝のご祈念に、勿論、毎朝ああして、家族で参って見えます、そして二時間ばっかりしましたら、又見えとる、あなたまだ居られたんですかというと、いいえ一ぺん帰ってから、又来ましたと久留米からです。
 今日は迂闊にも主人の誕生日でございました、その事のお礼を申し上げることを、もうそれこそコロッと忘れとりましたから、又そのためのお礼参拝を致しましたと、まあ本当にこれは信心が好きでなからなければ出来る事じゃないと思いました。電話でもよい朝お参りをしてあるのですから、それを主人のためのお礼参拝を、又二時間後にはなさっておられる。よくよく信心が好きであり言うならばもう、合楽はもう佐田さんのためにはもうそれこそ、里帰りでもするように、の故郷になっとられるのだと思うです。
 故郷ふるさと特に嫁さん達はいいますね、何が一番楽しいというても、有り難いというても、里に帰られるという時が一番楽しい、けれどもその里にもう両親がいなくなると、そのように、慕わしい、懐かしい里も、もう親が居る間だけですよと、言う事になるそんなもんですね、矢張りああよう来たなと心から喜んで呉れる、それは兄弟も居ろう甥たちやら姪たちも居ろう、けれども親ほどしにはない、親はもう心の底からそれを喜ぶ、喜んで呉れるその親に会えるのですから、それは里が慕わしい筈です。
 教会でお互いの心の故郷を感じられる、もう今日参ったのに、どうして参るかちゆう信心では、未だ信心が好きであるとはいえない、朝お参りをしとるけん、今夜月例祭でも、もう朝参っとるけんでと、もう何かそこに口実があったら、合楽に合楽に足が向いて来るような、私はそのような状態になりませんとね、それこそ有難うして有難うしてとか、何とのう有難うなって来ると言う事にならないと、お参りをすると言う事が、金光大神が喜ばれる、親先生が喜んで下さる。
 あんまり何辺でん行くと、おかしかと感ずるくらいに、矢張り教会へ合楽へと足が向く、お願いせんならんけん参りよる、これば頼まんならんから拝みよると、いうものとは全然違って参りますし、信心の内容が、私はそう言う所からです、信心の本当の眼目であるところの、信心は偉くなるためでも賢くなるためでもない、有難うなるためのものだと、有難うなる稽古だと、おかげを頂いて嬉しいというのでなくて、心の中に何とものう有難うなって行く事が、有難うして有難うしてと言う事になる。
 教祖様のように、根っからの信心が好きとまあこれは、私の場合をいうてもです、何とはなし、そういう家族一同の信心の雰囲気が、何とはなしに信心が神様に心を向けるということが、何とはなしに有り難いものになり、子供ながら拝みながら涙がこぼれる、そういう感慨にひたるというか、耽るというかそれが楽しかった様に思う、有り難かった様に思う。私は小学校の何年生位だったでしょうか、手工の時にまだ椛目に、まあ最近というか、本当に最近まで有りました。
 塵はたき、真っ白い布で、はたきを、手工にそれを作って、そして、それを神様専用のはたきを作った事が有ります。それが永い間使って、神様だけしか使いませんから、白ですから、汚れたら洗濯をする、そういう矢張り好きだったんですね、神様がそれが段々長ずるに従って、おかげを頂いて来た、それは本当にですね。あの福岡に参りました当初は、西鉄、それからバスと利用して、月次祭の時に参ってまいります、もう善導寺のバスの停留所で降りたら私は駈け足でした。
 もう本当に神様が待ってござる、親先生が待ってござるというか、とにかくもうこうこう手招きされる様にある、小走りでバスの停留所から、教会までまいりました。好きなところに通うのですから、私は朝皆さんがお参りして来るから、その辺からもうご祈念がはじまっとるのにゆっくり、ころころ他所見どもして、入って来る人を見ると、この人はちゅうて、突っつきたい感じがします。けれどももうそれこそ小走りして入って見えると、何か本当にこちらまで、有難うなる様な気がします。
 もうどうせ始まっとるとじゃけんちゅうて、ゆっくりこうこうやってポンと賽銭は立ちながら投げたごとある風でね、本当にあれが信心じゃろうかと思う、それこそ十円玉一つでも本当に押し頂く思いでね、本当にここまで来たらもう例えば、月次祭でいうなら、琴の音どんしよるなら、本当にこう急がねばおられないようなもの、そう言う様な状態にならんとですね。
 今日私が申します、有り難い事になって来ないのです、心が参らんならんけん参りよるとじゃなくてですね、参らにゃおられんから参りよると、それこそ向こうから誰か手招きしとる様に感じられる。そこんところまで私共と、金光大神の仲というものが、育って行かなきゃならん、かというて好きこそものの上手なれでありますけれども、初めからそう好きという人はありません。
 もう家で大神宮様参りよるけん、もう家で仏様拝みよるけんという程度の人は多いですけれども、自分の心のすべてを願わなければ居られない、お取次ぎ頂かなけりゃおられない、という程しにです、神様を頂くと言う事は、それこそ神あっての氏子、氏子あっての神と、神様が云っておられるのが、私どもとしては、神様あっての私と言う事になるのです。その神様の許へ通わせて貰うのですから、生き生きとしていわゆる、喜々としてお広前通いが出来れる、おかげでそこで初めからそうではなかった。
 初めから信心がその様に好きだというものは、そうざらには居ないけれども、本気で稽古をさして頂く事になって参りますと、ええですかおかげを頂く稽古じゃないです、信心の稽古です、信心の稽古が本気でなされて参りますと、信心が身について来る。明日はどういう変わった事を教えて頂こうかと、思う心が段々信心がこよない、有り難い楽しい信心が好き、なものになって来る。
 だから皆さん、信心が好きになる稽古をなさらなければいけません、初めから好きなものは無い、それこそ初めには、さほどにも思わなかったけれども、会う度ごとの親切が、もう引くに引かれぬ様になったという、唄の文句じゃないけれど、誰が何というて、誰が水をさそうとも、ちっとは、あの人は呆けちゃござらんじゃろうかと、人が噂をする様になっても、誰が水をさしても、それで、信心の心をゆるめると言うた様な事は無い、誰に気兼ねも、遠慮も感じんで済む程しの、信心を頂きたい。
 そう言う事になって来ての、金光大神助けて呉れでなからなければ、金光大神助けて呉れといえばおかげは授けてやるという事にはなって来ないと思う。只自分の頼む時だけ、金光様と云うのじゃ駄目だと、今日はご理解第四節から、そういうものを感じた。本当に信心が好きにならなければ、信心の上達はありません好きですから、それこそ叩かれながらもその手に縋がると言う様なものが生まれて参りません。
 参っても叩かれるごとあるなら、誰が参るかというのでなくて、そんなのと違うわけですね、信心というのは、それがおかげをという信心であったら、おかげを頂かなかったら、お願いしとったばってん、おかげ頂かじゃったといえば、もう信心が疎遠になって行く元を作ってしまう様な、信心は駄目、本気で教えを頂いて、教えを行じ、金光大神のいう事に背かぬ様、よく守って信心せよというのは、それなのです。
 よく守って信心して行くうちにです。金光大神の心が分り、神様の心が分り、それが段々上達して来るに従いまして、いよいよ信心が尊い、言わば有り難いもの、いわゆるあなた有っての私、神様有っての私と言う事に、それこそ切っても切れぬ仲というものが、生まれて来るのではないでしょうか。初めからそれこそ恋愛結婚か何かなら、そうではないでしょうけれども。
 見合い結婚なんかは、初めからお互いがべた惚れと言う事は無いけれども、段々夫婦愛が生まれて来て、切っても切れん仲が出来て来るように。信心に於いても同じ事がいえるのじゃなかろうか。そういう信心の情念が、高められて来る、そこにはね、暑かっても寒かっても、その暑さ寒さを感じん位の仲が育って来る。どうぞ一つ信心が好きになる稽古、信心は偉くなるため、賢くなるためではない。
 有難うなるため、有難うなるためには、矢張り金光大神の言う事に背かぬようという、ここのところをです、大事にして行かなければならん、そこから自ずと初めは、おかげ頂かんならんけん参りよるのが、いわゆる信心が分らして頂ける事が有り難い、楽しいそれこそ、里帰りをするような、楽しさで合楽通いが出来る様な、おかげを頂いたら、もういよいよ、信心があなたのものになったと言う事が云えるのですね。
   どうぞ。